㈲平和食品工業誕生歴史

 私たちの会社では毎日朝礼で『経営理念』と『経営方針』を唱和します。この言葉は、額に入れて、社長の座る頭上に掲げてあります。もちろん、書いたのは代表の『花堂伸樹』です。

 社長自ら経営理念と経営方針は日々変わることなく、また日々変化する社内事情は臨機応変に。20代から70代まで幅広い世代の社員たちは、今日も大きな声で唱和し、一日のスタートをきります。

 

 

<創業者:花堂信文>

 昭和11年6月24日鹿児島県に7人兄弟の5番目として生まれました。

兄曰く「ガキ大将で、自分の子分に鞄を持たせ、自分は数名の子分の上に神輿で担がれて帰ってきた」そうです。

生真面目な兄が喧嘩に負けて帰ってくると、弟信文は、家を飛び出して仕返しに行ったそうです。その性格は、結婚して自分に二人の息子ができても変わらなかったそうです。

子供が泣いて帰ってくると、「子供の喧嘩に親が出る」のです。喧嘩に卑怯もくそもない!やられたらどんな事をしてもやり返せ!と言うように。。

滅茶苦茶なようで、歌は上手く、社交ダンスもでき、ゴルフはプロ並み!人を褒めるのもうまい!自分で料理するほど食べることが大好きでした。

概念にとらわれない、奇抜な発想の持ち主で、先見の目もあり、人より先に気づき、着目したこと全てうまくいくことはありませんでしたが、いいアイディアが浮かぶとじっとしていられない性格でした。親として、経営者として、現社長・伸樹の考えに反対することはありませんでした。

昭和61年創立の弊社ですが、当時は現在のような食品加工の会社ではありませんでした。

初代社長・花堂信文(現社長の父)は、養鶏場に卸す飼料会社を経営し、のちに鶏卵もスーパーなどに卸すようになりました。

昭和50年代末期、お酒の好きな信文は居酒屋で飲む時に食べる「親鶏の骨付きもも」の骨を外して、食べやすく切った炭火焼を卸せないかと考えました。

妻と試行錯誤の上、鶏肉が一番おいしいと感じる「調合塩」を考え、大型七輪で焼いた『鶏の炭火焼』をビニール袋に入れてスーパーの総菜を中心に販売し、次に大好きなゴルフ場のレストランにも卸していきました。

この時の『調合塩』と大型七輪で鶏肉を生から焼く手法は、現在も変わらず受け継がれています。

 美味しい商品を製造するには、

  “こだわりだけは変えてはいけない”

と初代社長亡き後も、現社長の花堂伸樹は考えます。

自社塩(調合塩)

配合はもちろん秘密です。

赤いものだけ…唐辛子です。あとは極力添加物を加えず、鶏肉本来の旨味を生かすよう、シンプルな塩味です。

この<自社塩>の歴史は、創業者の「花堂信文」と妻「憙志子」が色々なお店の炭火焼を食べ歩き、試行錯誤の末、自分たちが一番美味しいと思うレシピを考えました。

この<自社塩>の歴史は、38年前(昭和58年頃)。現社長の花堂伸樹が大学生のころです。

父:信文がまだ現在の「平和食品工業」創業する前のお話です。現在もその当時のレシピで製造し続けるこの炭火焼を、亡き創業者夫婦は雲の上で喜んでいるでしょう

自社塩(調合塩)